ながしながされ

ナガ氏が、釣り、自転車、料理、アウトドアグッズなどを紹介したりしなかったり

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桃を食べると思うこと

この時期になると実家から桃が一箱送られてくる。
正しくは実家ではなく、実家の母親が親戚に頼んでいた桃がその親戚から送られてくる。
父親が生きていたころは、実家でも桃を作っていたので、その当時は実家で作っていた桃が送られてきていた。

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小学生のころ、「専業農家」「兼業農家」というのを習ったとき、うちは兼業農家なんだなと思った。
畑自体は数a(アール)程度しかなかったので、実際は出荷して収益を上げるというよりも、知り合いに配るために作っていたようなものだった。
なので量が少ない分、一つ一つの果実に手間をかけることができ、結果としてかなり品質の良いものが出来上がっていた。

わたしは野菜や果物をほとんど食べない子供だった。
おおよその子供が苦手としているであろう野菜は、そのほとんどすべてが苦手だった。
今は食べられるけど、キュウリ、ナス、トマト、ネギなども食べず、野菜というとキャベツ、レタス、ジャガイモくらいしか食べなかった、いや他にもなんか食べただろうけど、まぁそんな感じである。
ちなみにセロリは今でも食べられない。
果物は食べられないほど苦手なものはなかったけど、別に好んでは食べることはなかった。
こたつの上にあるみかんもむくのがめんどくさかったのか、今となってはおぼえてはいないけど、ほとんど手を出すことはなかった。
桃やぶどうは時期になればその辺の畑に実っていて、買うものではなく、もらうものだった。
ありがたみもなかったので、なんか別に食べなくてもいいやと思っていた。
桃はリンゴくらい硬いものしか食べなかった。
なので桃缶は苦手で、黄桃の缶詰に至っては今でも食べることができない。
あ、食べられないほど苦手な果物が今でもあった、黄桃の缶詰だ。

実家から桃が送られてきていた当時、ほとんど知り合いに配ってしまって、一箱送られてきてもせいぜい1個か2個しか食べなかった。
配った桃を食べた知り合いからの評判はよく、箱で買いたいという話も何件かあり、今思うとだいぶ格安価格ではあるけど、実際に買ってもらったこともある。

今わたしは、桃らしいやわらかさの桃を食べている。
本当はリンゴくらい硬い桃を食べたいけど、それはなかなか難しい。
ましてや実家で作っていた桃を食べることはもうできない。
食材に対する感謝というのは忘れてはいけないとこの年になって思うようになった。
スーパーに行けば同じような食材がいつでも店頭に並んでいるため、食べ物には旬があるということがわかりにくい世の中にはなっているけど、その時期、その土地でしか食べられないものをなるべく食べたいと思う。

 

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