ながしながされ

ナガ氏が、釣り、自転車、料理、アウトドアグッズなどを紹介したりしなかったり

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ど真ん中すぎる世代という話

ドラクエウォークは麻雀メインとはいえ、ひとまずは続けている。
ドラクエウォークネタでいくつか記事にしようと思った話がなかったわけではないんだけど、なんとなく書いていなかった。
ちなみに麻雀は負けがこんでいて、一時期9段まであがった段位も今は7段に降格の危機にさらされながらかろうじて耐えているという状況。
先ほど久しぶりにすっきり勝てたのでスクショしてみた。

それでなんで急にネタもないのにドラクエウォークのことを書いたかというと、ドラゴンクエストのキャラクターデザインをした鳥山明先生の急逝が報じられたから。

鳥山明先生といえば、・・・いやもう、情報番組やワイドショーでさんざん過去の作品やエピソードについては紹介されていたので、割愛というか、今更わたしのようなものが語らずとも誰もが人生のどこかで何かしらの作品に触れてきたことと思う。

とはいえ、アラフィフのおっさんは、Dr.スランプドラゴンボール週刊少年ジャンプでリアルタイムに見ていて、ドラゴンクエスト復活の呪文を間違えて泣いたど真ん中すぎる世代である。
なので、その当時のことをちょっと書いてみることにする。

当時、わたしが住んでいた田舎では民放2局とNHKNHK教育テレビの4つのチャンネルしかなかった。
2局の民放は日本テレビ系とTBS系だった。
なのでフジテレビとテレ朝の番組は「ほぼ」見ることができなかった、あとテレ東もね。
「ほぼ」と書いたのは変な時間に放送している番組もあったから。
アニメは平日の夕方に何週か遅れで放送していた。
「笑っていいとも」もなぜか夕方に放送していたから、学校が終わり家に帰ってからテレビをつけると放送していたことがあった。

ということなのでアニメのほうのDr.スランプドラゴンボールは平日の夕方に見ていた。
ちなみに、先日、同じく急逝が報じられたTARAKOさんが声優をつとめる「ちびまる子ちゃん」も何曜日か忘れたけど少なくとも日曜日ではない曜日の夕方の放送だった。
なので、その当時はちびまる子ちゃんサザエさんが始まると、明日は月曜日で学校に行かなければならないと憂鬱になるという感覚はなかった。
そういえばちびまる子ちゃんは上で書いた通り日曜日ではない曜日の夕方だったけど、サザエさんはいつ放送してたんだろ?
思い出せないや。
そういう状況なのでもしかしたら笑点の音楽が流れると、明日は月曜日なんだと憂鬱になったかもしれないな、覚えてないけど。

中学生くらいのときにそんな田舎でもケーブルテレビのサービスが開始され、それからは普通に民放のテレビ放送を視聴することができるようになった。
それでもその地域の日本テレビ系とTBS系に変更はなかったため「笑っていいとも」を夕方に放送するのは続いていて、大学生のときに他県からきた友人が「笑っていいとも」の夕方放送にびっくりしていたのを覚えている。
要するに「一部の地域の方とはここでお別れです」の「一部の地域」がわたしが住んでいたところなのである。

アニメのDr.スランプの最後がどうだったかは覚えていないけど、少年ジャンプのほうの最終話は覚えていて、ある意味大団円といっていい最終話だった。
ドラゴンボールも少年ジャンプのほうの最終話は覚えている。アニメはあまり見てなかったので、アニメが原作のどこまで放送されたのかを知らない。
というかGTとかZとかマンガで見ていたストーリーや登場キャラクターとは違う話になっていて、それらはたまに見てもついていけなかった。
そもそも当時のジャンプはなんでもかんでも安易にバトル物にしすぎたと思う。
ドラゴンボールも最初はドラゴンボール探しの冒険マンガだったし、同じ時期に人気があったゆでたまご先生のキン肉マンも最初はギャグマンガだった。
個人的にはどちらも最初のころのほうが好きだったな。

Dr.スランプ」「ドラゴンボール」の作者で「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザインを手がけた鳥山明先生が亡くなったこと、2018年に亡くなった「ちびまる子ちゃん」の作者のさくらももこ先生に続いて、声優のTARAKOさんが亡くなったことはアラフィフ世代にとっては、あって当たり前だったものが無くなった気がして、とてもさみしい。

鳥山明先生、TARAKOさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。